日本deカナダ史:So-netブログ
シンディ・クラッセンが2006年トリノ大会において、スピードスケートで5個のメダルを獲得した。それは3000mの銅メダル、女子チームパシュートの銀メダル、1000mの銀メダル、1500mの金メダル、5000mの銅メダルである。2002年ソルトレイクシティ大会における3000mの銅メダルと合わせて、通算6個のメダルとなり、冬季オリンピックで最も多くのメダルを獲得したカナダ人となった。
★2位 ゲータン・ブシェ1大会で3個のメダル(1984年サラエボ大会)
ゲータン・ブシェが1984年サラエボ大会において、スピードスケートで3個のメダルを獲得した。それは500mの銅メダル、1000mの金メダル、1500mの金メダルである。1980年レイクプラシッド大会における1000mの銀メダルと併せて、通算4個のメダルとなった。
★3位 ナンシー・グリーン、大回転で圧勝(1968年グルノーブル大会)
ナンシー・グリーンが1968年グルノーブル大会において、アルペンスキー回転で銀、大回転で金メダルを獲得した。大回転は通常100分の1秒を争う競技だが、彼女はこれを2秒64という記録的大差で圧勝した。グリーンは1999年、20世紀の女子トップアスリートに選ばれている。現在は上院議員。
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★4位 カナダ男子がホッケーで金メダル、50年の低迷に幕(2002年ソルトレイクシティ大会)
チーム・カナダは1952年のオスロ大会優勝を最後に、50年間優勝から遠ざかっていた。92年アルベールビル大会と96年リレハンメル大会は2大会連続で惜しくも銀メダルとなり、NHL選手をズラリと並べた「ドリームチーム」を結成した98年長野大会では、何とメダルなしという屈辱の結果に終わった。
今度こそ悲願の金メダルを目標に、再びNHLのドリームチームを結成し、グレツキー監督で臨んだ2002年ソルトレイクシティ大会は、決勝でアメリカを破りついに50年ぶりの金メダルをカナダにもたらした。
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★5位 疑惑の判定、カナダペアとロシアペア双方に金メダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
フィギュアスケート・ペアで、カナダのジェイミー・サレー&デヴィッド・ペルティエ組はノーミスで演技を終えたにもかかわらず、ロシアのエレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ組が金メダルと判定された。
採点では9人の審判のうちロシア・中国・ウクライナ・ポーランド・フランスの5人がロシア優位と判定し、アメリカ・カナダ・日本・ドイツの4人がカナダ優位と判定していた。ところがその後フランスの審判が、アイスダンスでフランス優位と判定する見返りにフィギュアスケートでロシア優位と判定する取引を持ちかけられたと証言した。これを受けて国際スケート連盟はフランス審判の判定を削除し、1位をつけたジャッジの数を4対4の同数に変更してロシアペア・カナダペアの双方を金メダルと裁定した。
なおロシアはこの競技において、ソ連・CIS時代からひき続き1964年インスブルック大会以降12連覇を続けている。
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★6位 マルク・ガニョン通算5個目のメダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
ショートトラックスピードスケート選手のマルク・ガニョンは、1994年リレハンメル大会において1000mで銅メダルを獲得し、1998年長野大会でも5000mリレーで金メダルを獲得した。
個人競技でも金メダルを獲得すべく臨んだ2002年のソルトレイクシティ大会では、1500mで銅メダル、500mで金メダル、5000mリレーで金メダルを獲得した。500mでの41秒802はオリンピック記録で、今日も破られていない。
なおこのときの1500mは、1着でゴールした金東聖(韓国)がアポロ・オーノ(アメリカ)の進路を妨害したとして失格し、4着のガニョンが銅メダルに昇格したものである。
冬季オリンピック通算5個のメダル獲得は、2006年シンディ・クラッセンに抜かれるまでカナダ最高の記録だったが、金メダル数ではガニョンが3個で上回っている。
★7位 2年半後の金メダル:一人ぼっちの表彰式(2002年ソルトレイクシティ大会)
クロスカントリースキー10km複合では、ロシアのオルガ・ダニロバとラリサ・ラズティナが激しいデッドヒートを繰り広げ、最後はダニロバが7秒差で際どく勝利した。カナダのベッキー・スコットは3位に終わった。
ところがその後、ラズティナがドーピング検査で陽性と判定され、スコットは銀メダルに昇格した。さらにその2年半後、ダニロバも禁止薬物を使用していたことが判明し、スコットは金メダルに昇格することになった。世界アンチドーピング機関の委員として活動していたスコットの、皮肉な勝利であった。
彼女は2004年6月、バンクーバー美術館前でカナダ国旗を背に、即席の表彰台に登りたった一人の表彰式を行った。
★8位 鉄人クララ・ヒューズ、夏・冬通算5個のメダル獲得(2006年トリノ大会)
1996年アトランタ夏季オリンピックに出場したクララ・ヒューズは、自転車個人ロードレースと自転車個人タイムトライアルで2つの銅メダルを獲得した。
本業のスピードスケートで出場した2002年ソルトレイクシティ大会でも、5000mで銅メダルを獲得し、世界で4人目、女子では2人目の夏・冬メダル獲得者となった。
2006年トリノ大会では、女子チームパシュートの銀メダルに続き、5000mでついに、3大会連続金メダルのクラウディア・ペヒシュタイン(ドイツ)を破り金メダルに輝いた。
同じレースで銅メダルを獲得した親友シンディ・クラッセンからカナダ国旗を手渡され、観客席からはバラとぬいぐるみが投げ込まれた。ヒューズは国旗とバラとぬいぐるみを掲げ、涙のウィニングランを行った。ヒューズは表彰式ではクラッセンを表彰台の最上段に招き、ともに「オー・カナダ」を歌った。
★9位 ジンクスを打ち破った笑顔(2002年ソルトレイクシティ大会)
カトリオナ・ル=メイ=ドーンは1998年長野大会において、スピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得し、世界記録を8度も打ち立てて「氷上で最も速い女性」と呼ばれた。2002年ソルトレイクシティ大会でも彼女はメダル獲得を当然視され、旗手に抜擢された。だが、旗手は金メダルを獲れないというジンクスがあった。
しかし彼女は500mを難なく勝利し、2大会連続の金メダルを獲得した。彼女はカウボーイハットをかぶり、カナダ国旗とサスカチュワン州旗を掲げて満面の笑顔でウィニングランを行った。
★10位 ホッケー女子アメリカに雪辱(2002年ソルトレイクシティ大会)
女子カナダチームは1998年長野大会でアメリカに敗れ、銀メダルに終わった。そしてソルトレイクシティ大会まで、アメリカチームに屈辱の8連敗を喫した。
アメリカチームは35連勝を続けていた。ソルトレイクシティの選手村でも、アメリカ選手はカナダをばかにする発言を続け、カナダ国旗を侮辱したという報道(後に誤報と判明)すら流れた。カナダチームは奮起した。
決勝は、前回長野大会に続きカナダ対アメリカの組み合わせとなった。異常に白熱したゲームにおいて、カナダチームは13ものペナルティを受けた。キーパーのキム・サンピエールは25のゴールをキープした。5対2でカナダの優勝が決まった瞬間、カナダチームはキーパーのサンピエールのもとに集い、抱き合って泣いた。
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