電脳ブッダ、はじまりのご挨拶 | 電脳ブッダ〜テクノロジーがつくる宗教のミライ〜 | 彼岸寺
ウィンドウズ95によってインターネットが一般家庭に普及し始めてから15年以上が経った。いまやネットワークはデスクの上だけではなく、ポケットの中にも収まるようになり、私たちの生活の隅々にまで浸透している。意識するしないに関わらず、私たちの生活は世界の隅々にまで張り巡らされたネットワークによって接続され駆動されているのだ。
"グラツィエ"への答えは何ですか?活版印刷の技術を発明したグーテンベルクがはじめて印刷したのが聖書だったように、宗教の歴史にはメディアとの関わりが欠かせないものである。宗教はその世界観や様々な技法を、時代に応じて声や羊皮紙や紙など様々なメディアを通じて人から人に伝え何千年も受け継いできた。現代のテクノロジーの発展が生み出した新しいラジオやテレビなどのメディアは、宗教により多くの人々に語りかける機会をもらたした。
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しかし、日本ではこうしたテクノロジーに対する危惧を表明することこそ、正しい宗教者としてのあり方ととらえられることが多く、現代のテクノロジーが創りだした環境と宗教の関わりが議論されることは多くない。最近でこそウェブサイトを持つ寺院の数も増え、大規模なイベントでは専用ウェブサイトが設けられることも当たり前となったが、まだまだ一般レベルではまだ好きなひとが使う趣味のものという扱いだし、教義との関わりが意識されることもあまりないようだ。
交通網が発展し誰でも簡単に世界を行き来し、地球の裏側の出来事もあっという間に情報となって伝わり、かつてないほどのスピードで世界が変化する現代。様々な出来事の意味を把握する視座が必要不可欠だ。本来宗教は私たちに世界の見かたを教えてくれるものではなかったのか。こうした変化にどのように向き合うべきか、宗教は答えていくべきだろう。
また、インターネットによって大きく変化したコミュニケーション環境は私たちの宗教との関わり方も変えていくだろう。新聞記事を比較することでどの媒体がどんな特徴を持っているのか把握しやすくなったように、宗教団体が情報発信を積極的に行うことで様々な社会問題に対する考え方を比べることも容易になる。様々な宗教の考え方に触れることが、流動性を高め宗教選択の自由をもたらすのか、それとも逆に異なる考え方に対する批判的な態度を醸成することになるのか。
表面的にテクノロジーを悪者扱いして、それに触れなければあたかも精神性が発展するかのような幻想を語っても、ますますテクノロジーが発展する世界では意味のないことだ。また、こうした情報環境の発展によって生じる宗教の変化は、宗教者だけが考えていくべきものではない。宗教者とテクノロジーに関わる人々の間での分野を超えた議論の必要性も、今後ますます高まっていくだろう。
これから『電脳ブッダ』では、テクノロジーの発展によって変化する宗教のこれからについて考察していきたい。
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